冷まし水から熱々の一杯、薬味、ソース、そして出汁の経済学まで——。
※本文は、これまでの調査・聞き取り・実食メモをもとに統合した最終稿です。薬味や調味料の細部は、時期や店舗の判断で変わる場合があります。
出汁は脇役ではない。明石焼を成立させる「液体の主役」
明石焼の話になると、どうしても最初に注目されるのはタコだ。明石だこの知名度は高く、実際、噛んだ瞬間の旨みや食感にも強い存在感がある。だから「明石焼の主役はタコ」と思われるのは自然なことだろう。
けれど、明石焼という料理を本当に明石焼たらしめているものは何かと考えると、話は少し変わってくる。あの料理の個性は、丸く焼かれた生地の中だけでは完結していない。箸で持ち上げた玉子焼を椀の出汁へくぐらせて口に運ぶ——その一連の流れまで含めて、はじめて明石焼になる。
全国では「明石焼」と呼ばれるこの料理も、地元では古くから「玉子焼」と呼ばれてきた。見た目だけならたこ焼きの近縁に見えるかもしれない。だが、実際の設計思想はかなり違う。たこ焼きがソースで輪郭を与える食べ物だとすれば、玉子焼は出汁によって全体を整える食べ物だ。この違いは、思っている以上に大きい。
玉子焼の生地はやわらかい。卵を多く使い、じん粉を含んだ生地を銅板で焼くため、表面はふわりとまとまりながら、中にはやさしいとろみと熱が残る。つまり焼き上がった瞬間の玉子焼は、完成品というより、まだ「仕上がりかけ」に近い。そこへ出汁が入ることで熱の角が取れ、生地の甘みが立ち、タコの旨みも自然につながる。出汁は味を足すためだけのものではない。玉子焼を食べやすくし、ひとつの料理として着地させる役目を担っている。
しかも、その出汁は濃ければいいわけではない。主流は昆布と鰹を軸にした澄んだ出汁だが、求められているのは「出汁の自己主張」ではなく、生地とタコを最もよく見せることだ。強く支配するのではなく、やさしく輪郭を整える。卵の甘みも、タコの旨みも、ふわっとほどける生地の質感も、出汁があることでひとつにつながる。
派手ではないのに、決定的に重要。明石焼の出汁とは、そういう存在である。目立たないまま全体を支える——これがなければあの料理は完成しない。明石焼を深掘りするなら、まず見るべきはタコだけではなく、あの椀の中の一杯なのである。

出汁の原点は、まず「冷ますための水」だった
明治半ばから大正にかけて、明石の町には玉子焼の屋台がいくつも出ていた。樽屋町、淡路銀行の前に出ていた向井さんの屋台はよく知られ、焼き上がった玉子焼は巻き簀の上にあげられ、一個一銭から二銭ほどで売られていたという。人はそれを手でつまんで口へ放り込み、大人ならひと鍋二十個を竹の皮に包んで持ち帰った。玉子焼は、気取って味わう料理ではなく、町の腹を支える軽食だった。
だが、その軽食にはひとつ困ったことがあった。焼きたてが、とにかく熱い。見た目は丸くてやわらかく、いかにも頼りなさそうなのに、ひと噛みすると中が危ない。今でいえば、小籠包を慌ててかじった時に近い感覚だ。外見に油断して口へ入れると、内側に閉じ込められた熱が一気に襲ってくる。
そこで必要になったのが、まず味ではなく、熱を落ち着かせるための水だったのだろう。屋台の横に水を張った椀が置かれ、焼きたての玉子焼をさっとくぐらせてから口へ運ぶ。最初にあったのは美食の作法ではなく、火傷せず、しかも待たずに食べるための知恵だった。
面白いのは、その水が長くただの水では終わらなかったことだ。毎日出すものなら、少しでもうまくしたくなる。ほんの少し塩気を入れる。昆布の切れ端を沈める。薄口醤油を落とす。そんな小さな工夫が重なり、冷ますための水はいつの間にか、玉子焼をいちばんうまく食べるための出汁へ変わっていった。
つまり、明石焼の出汁は最初から完成された旨い汁として生まれたのではない。熱い玉子焼を受け止めるために生まれ、そこへ味が宿り、いまの一杯へ育っていった。あの椀の中にあるのは単なるつけ汁ではない。町の人間が、熱い玉子焼をどうにかうまく食べるために積み上げてきた生活の知恵そのものなのである。

なぜ玉子焼を、さらに熱々の出汁にくぐらせるのか
玉子焼は、焼きたてがいちばんうまい。問題は、いつでも焼きたてを出せるわけではないことだった。昼は客が続いても、夜は注文が鈍る。玉子焼専門店でも、玉子焼を看板にしながらお好み焼きや焼きそばも出す複合店でも、その事情は変わらない。注文のたびに銅鍋を温め直していては時間がかかる。どうしても作り置きや温め直しが混じる。
ところが、温め直した玉子焼は扱いが難しい。温度は戻せても、焼きたてのふわっとした軽さまでは戻りにくい。生地は少し締まり、口に入れたときのほどけ方も鈍る。玉子感も薄れる。「なんやこれ。昼のんと全然ちゃうやないか」「もっさりしとるし、玉子感が飛んどるやん」——そういう反応は、店にとってかなり痛かったはずだ。
そこで店が考えるのは、温め直しの先にもうひと手間を加えることだった。ある店主は、火にかけたやかんがぐらぐらと沸き、口から湯気を吹き上げるのを見てふと足を止めたのかもしれない。立ちのぼる湯気には、ただ熱いだけではない、昆布と鰹の香りが濃く混じっている。——これや。この熱々の出汁にくぐらせたら、表面のしっとり感が戻る。中の熱々ふわトロも立ち上がる。出汁の香りが食欲を引っぱる。そんなひらめきが、店の現場から自然に出てきてもおかしくはない。
実際、熱々の出汁には意味がある。温め直した玉子焼をもう一度しっとりさせ、口当たりをやわらげ、出汁の風味をのせ直せるからだ。ただ温めただけの玉子焼より、熱い出汁を通した玉子焼のほうが、食べた時の印象は明らかに上がる。熱々の出汁は最初から粋な演出として生まれたのではなく、焼きたてを出せない時間帯の玉子焼を立て直す知恵として磨かれていったのだろう。
そしてその知恵は、いつしかリカバリーを超えた。今では出来たての熱々の玉子焼を、あえてさらに熱々の出汁にくぐらせる。そこには、ただ元に戻すだけではない、玉子焼を一段上へ押し上げる快感がある。冷ますための一杯だったはずの出汁が、今度は旨さを増幅させる一杯になる。明石焼の出汁文化がおもしろいのは、この逆転にある。

出汁を彩る様々な薬味たち
もともと玉子焼は、何もつけずに口へ放り込む軽食だった。似たようなところから始まったたこ焼きが濃いソースの世界を広げたのに対し、玉子焼は出汁と薬味を育てていった。この分かれ道こそ、明石焼らしさを決定づけた大きな一点である。
店を見ていくと、その違いはかなりはっきりしている。何も入れない店もあれば、ねぎを添える店、三つ葉を浮かべる店、両方を合わせる店もある。さらに一味、塩、抹茶塩、ソースまで含めると、明石焼の薬味は思っている以上に幅が広い。薬味は飾りではない。出汁をどう味わわせたいのか、玉子焼をどんな着地に持っていきたいのか——そのスタンスが、最後にいちばんよく出る部分なのだ。

※この章の薬味・調味料情報は、店舗の公開情報に加えて、紹介記事や口コミ・レビューも参考に整理しています。レビュー由来の内容は、現在も同じ形で提供されているとは限りません。
薬味・調味料の見取り図
| 薬味・調味料 | 役割・風味 | 合いやすい出汁温度 | シェア感 | 店の例 |
| 薬味なし | 昆布や鰹の風味をそのまま味わいやすい。玉子感も素直に出る | 常温〜やや冷まし気味 | 中 | ふなまち、よこ井、とり居 |
| ねぎ系 | 青い香りと軽い甘みが足され、最初のひと口がわかりやすくなる | 常温・熱々どちらも合う | 高 | よし川、本家きむらや |
| 三つ葉 | 香りが細く上へ抜ける。熱い出汁に入れると和の空気が立つ | 熱々と特に相性がいい | 高 | たこ磯、楽々、あかし多幸、松竹 |
| ねぎ+三つ葉 | ねぎの親しみやすさと三つ葉の抜ける香りを両方楽しめる | 熱々寄り | 中 | かねひで |
| 一味・ゆず七味 | 辛みと香りを足して、味の輪郭を締める | 熱々向き | 低〜中 | 今中、たこ磯(一味) |
| 塩・抹茶塩 | 出汁にくぐらせず、玉子焼そのものの味を立てる | 直接つける食べ方向き | 低〜中 | 今中、あかし多幸、本家きむらや |
| ソース | 出汁にくぐらせる食べ方と、そのまま食べる食べ方の両方がある | 常温・熱々どちらも可 | 高 | 今中、よし川、たこ磯、ふなまち周辺の卓上調味例 |
薬味なしの店というと、つい地味に見える。けれど実際には逆だ。昆布や鰹節で引いた出汁の風味を、そのまま味わってほしいと考えていることが多い。ふなまちはその代表格で、最初のひと口はあくまで出汁そのもの、そこから先は客が卓上の調味料で遊ぶという構えだ。よこ井やとり居も同じ方向を向いていて、薬味を省いているのではなく、出汁の風味を崩さないためにあえて何も足さないのである。
ねぎの良さは、わかりやすさにある。出汁に落とした瞬間、青い香りと軽い甘みがすぐ立つ。三つ葉ほど好みが分かれにくいから、初めての人でも受け取りやすい。老舗のよし川にねぎがあるのも納得だし、本家きむらやを外しにくいのも同じ理由だろう。近年はあさつきやわけぎに近い細ねぎで香りをやわらげているように見える店もあり、ねぎ薬味が必ずしも強い香り一辺倒ではないことも押さえておきたい。
三つ葉は、茶碗蒸しやお吸い物に合う、あの香りだ。熱い出汁に浮かべると、ねぎより細く軽い香りがすっと立つ。昭和の感覚では、この三つ葉が浮かぶだけで玉子焼は少し「ええ料理」に見えたのではないか。たこ焼きが屋台の粉ものとして勢いよく広がったのに対して、明石焼は熱い出汁と三つ葉によって和の一品としての表情を深めていった。たこ磯、松竹、あかし多幸に三つ葉が定着していることを見ても、三つ葉は単なる彩りではなく、明石焼を上品に見せる薬味になっている。
かねひでのように、ねぎと三つ葉を両方添える店もある。これはかなり理にかなっている。ねぎのわかりやすさと三つ葉の抜ける香りを、一椀で両立できるからだ。最初の親しみやすさも後味の品のよさも欲しい——そう考えると、この併用型はとても収まりがいい。
一味、ゆず七味、塩、抹茶塩、ソースまで入ってくると、薬味はもう椀の中だけの話ではなくなる。今中では、出汁で食べるだけでなく、塩だけ、ゆず七味がけ、ソースがけといった食べ方が紹介されている。あかし多幸の抹茶塩も同じで、出汁へ入れるというより、玉子焼そのものに直接当てて楽しむ調味料として効いてくる。ソースも、出汁にくぐらせる食べ方とそのままたこ焼きのように食べる食べ方の両方がある。玉子感の強い玉子焼は、こうした調味料にもきちんと応えてくれる。だから明石焼の薬味文化は、椀の中だけでは完結しないのである。

ソースをつけて出汁にくぐらせる——邪道は、なぜ消えなかったのか
昔の玉子焼は、今の名店の一皿とは少し違っていた。卵は高く、昆布も上物ばかりを使える時代ではない。玉子感も出汁の厚みも、今ほど豊かではなかった。もちろん玉子焼は玉子焼でうまい。けれど、子どもやジャンクな味覚の人にとっては、ソースべったりのたこ焼きのほうが、ひと口の満足感では勝っていた。
だから、玉子焼にソースをつけて食べる人は昔からいた。ただし、それは長く邪道だった。ソースを塗るだけでも邪道なのに、そのまま出汁にくぐらせれば澄んだ出汁は黒く濁る。「玉子焼は出汁で上品に食べるもの」という意識が強かった明石民にとって、それはかなり許しがたい食べ方だったはずだ。玉子焼には「たこ焼きとは違う」という矜持があった。ソースで押し切るのはあちらの流儀。この線を越える食べ方は、どこか品のないものとして見られやすかった。
しかも、ソースをつけて出汁へくぐらせた玉子焼は、やり方を間違えると単純にまずい。ソースの酸味が出汁に広がりすぎると、せっかくの出汁が濁るだけでなく、味までだらしなくなる。だからこの食べ方には昔からちょっとした作法があった。ソースをべったり全面に塗らない。出汁に落とす時もソースの面を沈めすぎない。端だけを軽くくぐらせる。そうやって、ソースの強さと出汁のやわらかさを両立させる。邪道には邪道なりの、うまく食べる知恵があったのだ。

この食べ方がおもしろいのは、地域によって受け止め方が違ったらしいことだ。明石では眉をひそめられやすかった一方で、西の姫路方面ではそこまで大げさな話でもなかったという。明石民が上品を装うぶん、姫路側ではその装いが薄かった——と言ってしまってもいいのかもしれない。同じ玉子焼文化の圏内でも、食べ方ににじむ美意識には温度差があった。
一方、神戸は少し違う。ソースに開き直るというより、熱々の出汁や三つ葉で玉子焼を整え「ちょっとええ料理」に見せる方向が強かった。姫路が自由に広げる側なら、神戸は体裁を整える側。ざっくり言えば、明石の玉子焼文化はこの三方向に枝分かれしていったのである。明石は出汁の本流を守る。姫路は邪道をあまり気にしない。神戸は熱々の出汁と三つ葉で洗練させる。そう見ると、ソースの立ち位置もだいぶ見えやすくなる。
そして時代が下ると、この邪道は名前を変える。今では誰も「邪道」とは言わず、「味変」と呼ぶ。言葉を変えれば印象も変わる。昔なら親に叱られかねなかった食べ方が、今では「一皿で何度も楽しむ食べ方」になった。この感覚は、少しひつまぶしに近い。まずはそのまま、次に薬味や調味料を加え、最後にまた別の食べ方へ寄る。明石焼も、いつの間にかそういう楽しみ方がよく似合う料理になった。
今の玉子焼は、ソースだけでは終わらない。ソースに一味唐辛子を重ねる。抹茶塩を直接ふる。塩のついた側をなるべく出汁に触れさせないようにして、反対側だけを軽くくぐらせる——そうすると、塩の立った面と出汁を吸った面が一口の中でぶつかる。お好み焼き屋系の店では、とんかつソースとどろソースを塗り、青のりと鰹粉を振り、紅しょうがまで足せば、気分はふわトロたこ焼きである。けれど生地の中身は玉子焼だ。玉子感が強いからこそ、ここまでやっても成立する。
出汁の中で崩してしまう食べ方もある。箸で持ち上げにくくなった玉子焼をそのまま椀の中で崩し、出汁と一緒にすする。徳利でおかわりの出汁を出してくれる店では、こうして椀を空にして新しい出汁をもらう人がいる。味変とは少し違うが、これはこれで立派な楽しみ方だ。ここでは仮に「崩し飲み」と呼んでおきたい。

そして最後に——これは筆者流の見方だが——ソースや味変は、玉子焼の玉子感を測る道具にもなる。まず三分の一ほどを出汁だけで食べる。次にソースをつけて出汁にくぐらせる食べ方で数個食べる。そこで口が濃い味に慣れたあと、残りをもう一度出汁だけで食べてみる。この時に急に物足りなくなって「残りもソースを塗りたい」と感じるなら、その店の玉子焼は玉子感が弱い。逆に、味変のあとで出汁だけに戻っても玉子感がちゃんと立ち、むしろうまく感じるなら、その店は強い。玉子感のある名店ほど、ソースを一度知ったあとでも「やっぱり出汁だけでええな」と思わせる——そこはまだ筆者が一人で言っているだけだが。
つまり、ソース+出汁はただの変わり種ではない。昔は邪道として嫌われ、子どもなら叱られてもおかしくない食べ方だった。けれど、うまいから消えなかった。地方によって受け止め方も違い、時代が下ると「味変」という名前まで与えられた。最初は出汁の世界を濁す異物だったものが、今では明石焼の懐の深さを示すもうひとつの入口になっている。このねじれこそ、玉子焼文化のおもしろさなのである。
出汁の経済学。無料おかわりが消えていく理由
味の素が、庶民の出汁を変えた
昭和の庶民にとって、味の素は革命だった。うま味という言葉がまだ珍しかった時代、庶民の味つけの基本は塩と醤油だった。昆布や鰹節を惜しげなく使った、厚みのある汁を日常的に味わえる家ばかりではない。そこへ現れたのが、昆布のうま味成分を応用した味の素だった。池田菊苗が1908年に昆布のうま味成分を見いだし、1909年にAJI-NO-MOTO®が発売されると、庶民の台所に「うま味」そのものが流れ込んだ。塩水に近かったものが、ひと振りでいきなりスープになる。その変化は、当時の人にとってほとんど魔法だったと言っていい。
この革命は、玉子焼の椀にも当然入り込んだ。昭和の玉子焼店で出汁に化学調味料がかなり積極的に使われていたのは、そう考えると自然である。うま味を安く、早く、安定して出せる。昔の玉子焼は今の名店のように卵が濃く、昆布や鰹の風味が厚い料理ではない。だからこそ、椀の中に「うま味」が加わったことの意味は大きかった。玉子焼は、ただの軽いおやつから、出汁で食べる料理へ一歩深く入っていったのである。
『美味しんぼ』以後、空気が変わった
ところが、1980年代に入るとその常識がひっくり返る。グルメブームと本物志向が広がり、とりわけ『美味しんぼ』のような作品が、天然出汁と化学調味料の対立を強く見せた。昆布と鰹節で引いた出汁こそ本物であり、化学調味料のきいた汁は偽物である——そういう空気が、店にも客にも一気に広がっていく。旨味の強い出汁は「不自然ではないか」と見られやすくなり、店は無化調・天然出汁へ寄らざるを得なくなった。
ただ、この変化は善悪二つで片づけられない。『美味しんぼ』は、日本人の舌を鍛えた。出汁を取る意味、素材の違い、手間をかける価値を多くの人に教えた功績は大きい。その一方で「化学調味料は悪」という印象を強く植えつけた面も否定しにくい。味の素は、庶民にうま味を配った功労者でありながら、後の時代には「手抜きの象徴」として叩かれた存在でもあった。ここが、この話のいちばんややこしいところだ。
出汁は、急に高いものになった
店にとっては、空気より現実のほうが重かった。化学調味料なら、ほんの少しで一気に旨味が立つ。ところが、それを天然素材だけで再現しようとすると話はまるで変わる。利尻昆布や真昆布、本鰹節や雑節を惜しみなく使わなければならない。しかも温度、時間、引き方の順番まで含めて、完全に職人仕事になる。出汁は手軽で安いものから、急に金と手間のかかるものへ変わった。玉子焼の値段を押し上げているのはタコだけではない——その核心はここにある。椀の中の一杯が、昔とは比べものにならないほど重くなったのである。
無料おかわりが減るのは、当然だった
だから、出汁のおかわり無料が減るのは当然だった。本格的な出汁を引くには、原材料だけでなく、毎日数時間かけて出汁を取る人件費と時間まで乗る。徳利で好きなだけ注ぎ足せるやり方は満足感が高い反面、廃棄も増え、保温の光熱費もかかる。出汁をきちんと守ろうとするほど、無制限には出しにくくなるのである。
ここでよく誤解されるのが、シェアの問題だ。玉子焼は一人前が一鍋、十五個から二十個という店が珍しくない。二人で一人前を分けたくなるのは自然だ。けれど店から見れば、一人前の売上で二人分の席を使われ、さらに二人ぶんの出汁まで必要になる。それでは採算が崩れる。だから「一人一人前」「シェアはご遠慮ください」というルールが出てくる。問題の中心にあるのは、ここでもやはり出汁なのだ。
それでも、気前よく注ぐ店はある
そんな時代でも、あえて気前よく出汁を注ぎ続ける店はある。あかし多幸のように、おかわり自由を前面に出している店がそうだ。出汁の原価が上がり追加無料がきつくなった時代に、それでも「何杯でもどうぞ」とやるのは、単なるサービスではない。出汁も込みで店の顔なのだ、という覚悟に近い。そうした店の気前のよさ自体が、もうひとつの文化になっている。

本場の外では、出汁はもっと自由に広がった
面白いのは、本場で出汁一杯の重みが増していく一方で、本場の外では出汁がもっと自由に使われていることだ。屋台やサービスエリアでは、玉子焼が発泡の器の中で出汁に浸かったまま出てくることが珍しくない。そこまで行くと、つけて食べるというより半分は汁物である。さらに極端なものになると、明石焼ラーメンのようにいっそスープの中へ放り込んでしまうものまである。
ひどい場合は、冷凍たこ焼きを出汁に浸して「明石焼」と名乗るものまである。本場の感覚からすればかなり強引だ。けれどそういうものに限って出汁は濃いめで、スープのように温かく、妙にジャンクで妙にうまい。明石焼ではないのに、別の食べ物としては成立してしまう。
東日本では、いまだに「たこ焼きを出汁に浸して食べるのが明石焼」と思っている人が少なくない。本来の明石焼は、たこ焼きより卵が多く、どちらかといえば茶碗蒸しや小籠包に近い食べ物だ。本場では出汁一杯の格がどんどん上がっていく一方で、本場の外では「出汁に浸した丸い粉もの」という記号だけが先に広がっていったわけだ。
出汁の重さが、いまの明石焼を決めている
こうして見ると、明石焼の出汁は二つの方向へ同時に進んでいる。本場では天然出汁の価値が上がり、一杯の重みがどんどん増していく。一方、外では出汁に浸けるという記号が自由に変形され、汁物やジャンクの世界へまで伸びていく。片方では研ぎ澄まされ、片方では拡散していく——このねじれを抱えたまま、明石焼の出汁文化は今も生きている。
だから、明石焼の値段を見る時もタコだけを見ていては足りない。その店の出汁は何で引かれているのか。おかわりは自由なのか、一杯勝負なのか。二十個一鍋を二人で分けられるのか、それとも一人一鍋なのか。そこには、その店がどこまで出汁を守っているかがそのまま出る。明石焼の隠れた主役は、やはり最後まで出汁なのだ。しかもその出汁は、ただの椀の中身ではない。昭和には庶民へうま味を配り、平成には和食の格を背負い、令和にはコストとルールと誤解まで引き受ける。これほど重い一杯は、そうそうない。

玉子焼にとって、「出汁」とは何なのか
この一杯の値打ちを知ったら、残しては帰れない
ここまで読んだ人なら、もうわかるはずだ。玉子焼にとって出汁は、横に添えられた汁ではない。この料理を最後に完成させる、本体の一部である。
しかも今の一杯は、昔のように気軽なものではない。利尻昆布や鰹節のうま味が染み出た出汁——その一滴一滴に、ちゃんと値打ちがある。うまい玉子焼に出会った時、出汁を平気で残して帰るわけにはいかない。本当にうまいラーメンに出会ったら最後の一滴まで飲み干したくなるように、玉子焼も、うまかったなら椀の底まできちんと味わう。玉子焼とは、そういう料理なのだと思う。
無料のおかわりには、店の心意気がにじむ
今の時代、天然出汁を何杯も無料で出すのが簡単ではないことは、もう十分わかった。だから有料にする店を一律に責めるつもりはない。けれど、それでもなお無料でおかわりを出す店には、やはり特別なものがある。
あかし多幸のような店へ行くと、それがよくわかる。あれは単に「タダ」なのではない。最後まで気持ちよく食べて帰ってほしい、という気持ちが見えるのだ。接客、声かけ、店のしつらえ、観光客への目配り——そういうもの全部の延長線上に、出汁のおかわり自由がある。無料のおかわりとは、出汁の話である前に、店の心意気の話なのである。
逆に、行列や知名度にあぐらをかき、客への配慮を失った店は、厳しく見られて当然だろう。古いから名店なのではない。並んでいるから名店なのでもない。客が食べ終わったあと、ちゃんと気持ちよく帰れるかどうか——そこまで含めて、名店かどうかは決まるのだと思う。
玉子焼には、ご馳走にならないでほしい
いちばん心配しているのは、ここだ。このまま単価が上がり続ければ、玉子焼は日常の食べ物ではなくなってしまう。
タコは高い。出汁も高い。それはわかる。けれど、玉子焼まで特別な日だけの食べ物になってしまったら、何かが違う。いかなごのくぎ煮が冗談半分に「明石のキャビア」と呼ばれるようになったのは、笑い話のようでいて、どこか笑えない。玉子焼まで、そんなふうになってほしくはない。
玉子焼は、やはり明石のソウルフードであってほしい。ふらっと寄って、熱々を食べて、出汁をすすって、うまかったなと帰る。その距離感のままで、生き続けてほしい。上品になるのはいい。和食の一端として見直されるのもいい。けれど、その代わりに手の届かない料理になってしまったら、玉子焼の魅力の半分は失われる。
だから筆者は、これからもまず椀を見る。その店が、出汁をどう扱っているか。その一杯に、玉子焼への考え方も、客への向き合い方も、全部出るからだ。









